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代燃車「三太号」

戦中戦後の石油燃料の欠乏期に大いに活躍した代燃車。神奈川中央交通の創立60周年を記念して、当時の更生車製作の工程・工法・技法をそのまま用い、解体材を活用しながら復元をしました。

代燃車と神奈川中央交通

戦中戦後に渡り、ひときわ異彩をはなったものに代燃車があります。

明治後期にヨーロッパで開発された代燃車は、正しくは「石油代用燃料使用装置設置自動車」といい、木炭・まき・石炭などを代用し、それぞれ加熱してガスを発生させ、そのガスの力でエンジンを動かす仕組みになっていました。

我が国では大正末期から研究され、昭和9年頃からガソリン節約のために、代燃車が奨励されるようになっていきました。

戦中戦後の石油燃料の欠乏期には、大いに活躍した代燃車でしたが、戦後徐々に姿を消し、当社においても昭和27年の初頭に代燃車を全廃しました。

三太号は昭和56年、当社の創立60周年を記念して、当時の更生車製作の工程、工法、技法をそのまま用い、解体材を活用しながら復元され、往時の姿をとどめています。

代燃車(まきバス)三太号の概要

車 種 トヨタ 乗車定員 40名
年 式 昭和25年 燃 料 薪(まき)
全 長 7.42m 最大貯薪量 約45kg
全 高 2.73m 薪消費率 1.22~1.33km/kg
全 幅 2.15m 速度(平坦路) 57km/h
排気量 3,870c.c. 登板力※ tanθ0.17~0.20
1回貯薪可能走行粁 約55km~60km

※登板力について、1/6~1/5匂配可能の意(6m~5mにつき1m高くなる坂をあがる力があるということ)

「三太号」の名前の由来

皆さん、あの代燃車(薪バスや木炭バス)が走っていた頃を、なつかしく思い出すことがありませんか。昭和25年頃、まだ戦後の混乱が残り、人心も荒廃していたあのころ-当時、NHKで放送された子供向けラジオ番組「三太物語」は、大人気を博したものでした。

主人公の三太少年を中心にくりひろげられるこの物語はあの頃の人々の心にどのくらい潤いを与えたことか知れません。 また、物語の舞台となった津久井郡の道志川付近は当社のバスが昔から走っておりますし、当時、三太君のような少年達や先生も当社のバスに乗られたものでした。

だから三太君達と当社のバスは昔から大の仲よしだったのです。 それに、たくましく、かざりけはないが正直で、真実一路に生きていく三太君の姿がそのまま当社のイメージではないかと思われるのです。

こういうわけで、この代燃車に「三太号」と名前をつけたのです。 この物語に出てくる人と人との温かい心のふれあいは、現在も、みんなが求めているのではないでしょうか。

三太物語

「三太物語」は青木茂先生の作で相模湖に近い道志川付近の山村を舞台として、そこに住むわんぱくで、たくましく、かざりけのない少年三太が主人公となっております。

この三太がまきおこす、ゆかいな出来事を中心に彼の友だちや花荻先生、校長先生、村長さん、駐在さん、それに魚とりの上手な仙じいさんなどの人間愛と正義感をまじえて明るく心あたたまる子供の生活をえがいたものです。

この物語が最初に書かれたのは1946年(昭和21年)で「赤とんぼ」という雑誌に発表された「かっぱ三太」という作品です。 以後つぎつぎに書きすすめられました。

また1950年(昭和25年)4月30日からNHKの子供向けラジオ番組として放送され、「おらあ三太だ」という言葉ではじまるこのドラマは子供達の人気の的になりました。

そして番組が終わったあとも、アンコールの声が強く、昭和27年には続編として再放送、のちには映画化され、これも人気を博しました。

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